子供の頃、いつもK君と遊んでいました。
隣のクラスの悪ガキ5人が因縁をつけてきても、
K君と一緒なら相手の人数が多かろうが2人で立ち向かいました。
K君は面白くて、相棒ってゆーか、僕を引っ張ってくれる存在。
K君は必殺技の名前をつけるのが好きで、K君が
『トルネードなんだい』
と言えば、僕は相手に竜巻きの如く飛びかかり連携プレーで相手を倒します(小学生の話しです)。
僕の偏ったボキャブラリーはK君の影響が大きいです。
中学で抗争があったときもK君がいれば大丈夫。
対グループ戦でのタイマン勝負の時も負ける気がしない、って感じ。
僕はその時、グループの大将でしたが指揮っていたのはK君でした。
あ、ヤンキーじゃないですよ。大人しいグループは因縁をつけられ安くて大変だったんです。
振りかかる火の粉をはらっていただけ。
そして僕は病気になり長期の入院。
K君は一人になりました。
あとになって、K君のお母さんから、金タロー君がいてくれたらあんなことにはならなかったのに、と言われました。
僕と一緒にいなかった期間に学校には行かなくなり、暴走族とトラブルになったりして地元を離れ大変だったようです。
僕にとってK君が大きな存在だったように、K君にとっては僕が大きな存在だったようです。
その後、僕は退院することが出来、幾年の月日が流れ、10代の後半くらいから、またK君と遊ぶようになりました。
二十歳の頃は、土曜の夜になると高速のパーキングエリアに行くのが通例になっていました。
いろんな車が集まっている所があるんです。
今もあるんだろうか?
K君のグループもチームの名前がありました。超ダサい名前の。
僕はグループの構成員ではないけど、助手席でK君の付き添いです。
先輩方もいい人ばかりで、何か、モテない男の集団って感じでした(笑)
人が大勢いるとK君はあまり本音を言わないけど、車の中で2人になるとK君はよく喋るんです。
深夜、電飾や水槽が奇麗な車の中で、ある時、僕にこう言いました。
K君『生きてていいことなんてあるんかなぁ。』
K君『俺の前から、もういなくならないでくれよ。』
僕も大変だったけど、K君もいろいろ大変だったので、心に闇のようなものがありました。
そして僕はとても器の小さな人間でした。
ちょっとした事があって、彼の前から姿を消しました。
そこまで深く考えていたわけではありません。
いつでも元に戻れると思っていたのです。
親友なんだから、と。
再開することもないまま、あっというまに月日は流れていきました。
40歳になっても50歳になっても、どれほど間があいても、会えばまた仲良くやれるって思いこんでいました。
部屋にはK君の写真が壁にありました。
だから離れてる気がしませんでした。勝手に。
怒ってるのかな、って気にはなっていたけど。
そして、ある日、人づてに聞きました。
『K君?死んだやん。』
K君はとび職でした。4階から落ちたそうです。
あの元気なK君が、自分より先に逝くなんて思っていませんでした。
後悔の念でいっぱいになりました。
俺の前からいなくなるな、って言ってくれる人間なんて、そんなにいるもんじゃないです。
それを知ったときの感情はとても複雑でした。
僕は人生の時間というものを甘くみていました。
一日一日が大切で、大事な人はいつまでもいるとは限らないんだと。